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'69
日本司法書士会政治連盟結成
大阪司法書士会会員数700名
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'70
全国青年司法書士連絡協議会(全青司)熱海創立総会
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'72
法務省が不動産登記情報システムの研究に着手
'73
日本司法書士連合会(日司連)、法務大臣へ国家試験制度の要望書を提出
'74
近畿司法書士会連合会(近司連)会則制定
上野所長が大阪青年会会長、大阪司法書士会理事に就任
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'76
民法等一部改正(法定相続分の変更)
'77
全青司・広島大会で「司法書士法改正要綱案」を議論
上野所長、日司連代議員に就任
'78
司法書士法改正(国家試験等の実現)
上野所長、近司連の常任理事(企画部長)就任
'79
上野所長、日司連・中央研修所所員に任命
上野所長、第4代全青司会長に就任
'80
商業登記規則の一部改正
'81
上野所長、大阪司法書士会常任理事(総務部長)に就任
'82
区分所有建物視察(欧州)
'83
大阪司法書士新会館竣工
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'70
「コンピューター時代における司法書士」(熱海大会発表原稿)
司法行政官庁の合理化・機械化に対して真向から取り組むことの必要性と司法書士業務のシステム化を提唱
'72
「原始的青年運動の復活」
(大阪青年会会報 『ひょうたん』)
「司法書士はいかにして社会的、国民的存在となり得るかを常に自問すべき」「青年は腕白でもいい、勇気ある若者に育ってほしい」
'74
「事務所開設5周年を迎えて」
全青司・福岡大会
パネルディスカッション
「司法書士法第1条を考える」
「登記に収斂される法律事務、関連手続全般の担い手は司法書士である」
第1条を改正せずとも、現行条文の運用により司法書士は民事手続きにも積極的に関与できることを力説(全青司福岡大会記録)
'77
全青司・広島大会で大会宣言
「司法書士法改正要綱案」を討議
改正要綱試案の実現に向け、全青司2月12日付「大会決議」として採択を提案、後に日司連と法務省へ建議する
'79
インタビュー記事
「創立十周年を迎えた青年司法書士協会の新会長」
(日本評論社『法学セミナー』vol.23 No.4)
「…私たちが日常的に扱う業務の実態は街の法律家といわれているように、事実上在野の法律家であって、決して行政庁の下請け機関ではない。…」
'81
「庶務から総務へ脱皮の羅針盤」
(会報大阪No77)
「80年代の司法書士像」
(『司法書士になる法』日本実業出版 寄稿)
司法書士試験に憲法を!/業務規定(司法書士法第2条2項)における範囲制限の削除・撤廃!/自主懲戒や自主登録制度を採用し自治権の確立を!/登記代理人は司法書士である旨、不動産登記法第26条に明記させること!/修習制度の法制化実現!
等、法律実務専門家としての司法書士像を提唱する
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'69
「上野司法書士事務所」開業

大阪市北区老松町(東興ビル)
'72
所長、西宮青年会議所(JC)に入会
'73
北区真砂町( ニュー真砂ビル)へ移転
'74
創立5周年
規定外報酬(立会料等)の合意授受を試行
'75
北区西天満(植田ビル3階)に移転
「上野司法書士合同事務所」に名称変更

「情報管理システムセンター」は、当時の最先端をいくネーミング
'76
法人企業会計の原則を採用
'77
中小企業の法務活動を支援(顧問契約第1号)
'79
創立10周年
朝礼と業務日報の開始
所員の福利厚生「楓会」が発足(初代会長・大里事務長)
ワープロ(東芝JW-10)導入
関西で最も早くワープロを活用したSF作家・小松左京氏に次ぐ早期導入だった
'81
司法書士専用オフィス・コンピュータ「FACOM司」(富士通)の開発に参画
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'69
東大安田講堂占拠事件
アポロ11号月面着陸
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'70
大阪で日本万国博覧会開催
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'71
日本列島改造論
沖縄返還協定調印
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'73
国土庁設置
「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」
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'75
山陽新幹線[大阪ー岡山間]開通
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'76
ロッキード事件
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'77
山陽新幹線[岡山ー博多間]開通
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'78
成田空港開港
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'81
電子郵便開始(東京・大阪・名古屋)
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'82
東北新幹線[大宮ー盛岡間]開通
テレホンカード使用開始
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'83
中国自動車道全線開通
ワープロ、パソコン普及
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